オカン=倍賞美津子さんとの45年前のニアミス あれは勘違いだったの?

TVドラマ、特に連続もののそれはほとんど見ない私が、昨夜はパソコンをいじっている間に、見るともなく引き込まれ最後まで見てしまった「東京タワー」に、倍賞美津子さんがオカン役で出演していました。
筑豊のオカンに違和感なくハマッてしまうほど、彼女も年を重ねたんだなあ、と感慨を新たにしました。もちろん女優としての華やかな経歴はお持ちなわけですが、世間一般では、アントニオ猪木さんの元の奥さんとして知られている面が強いかも知れません。
また、映画ファンの間では、「復讐するは我にあり」の、温泉の湯の中での三國連太郎さんとのシーン、などが強く印象に残っているのではないでしょうか。
さて、私の場合は、というと、さかのぼること45年前、倍賞美津子さんとのニアミス(これは勝手に私のほうからそう思い込んでの表現です)の一件が、記憶の底に今でも鮮明に残っているのです。
昨夜、TVドラマを見終わってから、そのことを書いてみようかなと思い、念のためネット上の検索で彼女のことを調べてみると、件(くだん)のニアミスはありえない、ということに気づかされたのです。正直、いささかショックでしたね。

それというのが、45年前、中学校時代の修学旅行でのことでした。というより、修学旅行の帰りのこと。当時、どこの中学もそうだったと思いますが、東京から京都・奈良・大阪への修学旅行は、行きは朝早く発の、帰りは夜行の列車でした。
その帰りの車中、まだ楽しみ足りない、と思っていた我々は、眠るのも惜しくあれこれいたずらやら遊びやらに呆けていましたが、他の車両から移って来た誰かが、
「この列車のうしろは、紅葉中学らしいぞ」
と言いだしたのです。
それを聞いて、仲間の誰もが、
「紅葉中学って、あの倍賞千恵子の妹で、SKD(松竹歌劇団)に入るとかって新聞に出ていた、美津子とかいうのがいるんじゃないか?」
と思ったのでした。
当時、同じ北区出身の倍賞千恵子さんは美人だし、我々の羨望の的、今で言うアイドルでした。だから、そのお父さんが都電の運転手さん、弟が日大野球部のレギュラー外野手(このあたり、細部に間違いがあったら、ご容赦下さい)だということは皆知っていました。
そして、この修学旅行(3年生のいつ頃に行ったのか、記憶では時期がいまいちはっきりしないのですが)の時には、上述のSKDがらみのニュースを既に見聞きして知っていたのです(たしか「中学生なのにスゴイ!」と思ったはず。このカンジ方が誤りの因だったかも)。
私の初めのブログ「東京ビートルズ って覚えてますか?」でも少し触れましたが、我々のA中学は、近隣の中学に恐いものなしで、
「それなら、その美津子っていうのもこの修学旅行に来ているのでは?」
「そうだ、そのはずだ」
「よし、これから行って、顔、拝ましてもらおう」
「よし! 行こう」
「賛成のやつ、みんなついてこい」
となり、かなりが寝静まりつつあった我々の1学年13クラスの列車内を通りぬけ(何両を通り抜けたのだったか)ていきました。
そして、この先が紅葉中学という車両の扉を開け、ドドッと行こうとした瞬間、一同は蹴躓くというか、足止めされたというか、障害にぶちあたったのでした。
なんと一番入り口に近い席に寝ていた男が通路を隔てて反対側の列の座席まで足を伸ばして横たわっていたのでした。まあ、我々の衝突に、ドタッと足を床に落とした状態(体は半分座席に残っていたようです)で、いきなり目を覚まされたのでしょう、
「なんだ、お前たちは?」
と声を荒げました。
時間が時間でしたから、社内は常夜灯しか点いてない暗い状態でした。
我々は、相手をよく見定めるまもなく(それがまさか紅葉中学の先生だとは少しも考えず)、ツッパリ生徒がいきがって入り口を占領しているものと思って、
「うるせぇー、てめぇこそ、こんなとこに足投げだして」
と言ったところで、わぁー、先公だぁ、と気づきました。
「やばい、逃げろ」
と逃げた者もいましたが、我々は、動くに動けず……。
「A中か……? 何しにきた、こんな夜中に」
「いえ、は、はい、倍賞千恵子さんの妹が乗っていると聞いたもので、サインをもらおうかと」
と、とっさにスラスラとよくウソが口をついて出たものだと(もっとも、半分はウソじゃないかも)、いま振り返っても不思議です。すると、
「そんもん、いないよ」
確かそんな言葉が返ってきた(気が動転していて、はっきり覚えているはずもなく)かと。
ただ、当時のA中学の先生も概してそうでしたが、このときの紅葉中学の先生も腹の据わった方で、
「いいから、自分のところへ戻って、もう寝ろ」
とだけ言って、無罪放免してくれました。その後、その件でA中学の先生に一言も言われなかったので、とんでもない輩が夜中に我が中学の車両に、とかの伝達はなかったのでしょう。ありがたいことです。

ところで、冒頭の記述に戻りますが、ネット検索によって知ったところでは、倍賞美津子さんは、1946年11月のお生まれなんですね。なんと、私の学年の1級上なんですねぇー、驚きました。
45年間ずっと、同学年の彼女は、あの時、あの車両の向こうで、すこやかな寝顔で眠っていたのだ、と心の底で思い続けていました。若い頃、作家志望だった私は、いつか名を成して、何かの機会に彼女に巡り合うようなことがあったら、このことだけはこっそり打ち明けてしまおう、と思っていたものでした。あさはかですねぇ。
でも、正直言って、昨日の今日、未だに、あの時、彼女は同じ列車に乗っていた、というのが否定し切れないのです。何かの事情から、1年下の修学旅行に同行した、ということはありえないものなのか、などと未練がましくもつい思ってしまうのです。
まあいいか、久しぶりに連続ドラマ、「東京タワー」を毎週見ることにするか、とも思い定めた次第です。

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